ベトナム、ダナン空港へと向かうべく、成田空港へ集合。本来の出発時間よりも飛行機が遅くなるなど早速トラブルに見舞われてしまう。
飛行機の中では、映画を二本見た。「スイートプールサイド」は高校生の頃の、世界の全てが学校で完結していて、そこで何から何までもが決まり、自分の運命、人生を決めてしまうような、そんな感覚を思い出してしまう内容だった。
ダナン空港は、今年の春に来た時よりも綺麗になっていた。その方法は違えど、国家や企業、組織は発展していく。それはベトナムという国についても、学生による活動団体においても、果ては高校のクラスの派閥についても言えることである。そして、その発展の途中では、あらゆるものを蓄えて新たなものを創造すること。そして組織内部を整理して、必要なものをより重要な扱いをする位置に据えたり、過去には必要だけれども、今後のビジョンを意識する上で不必要になるものを捨てたりすることが必要だ。ということを僕はエナホテルの一階でキーボードを叩きながら考える。
ダナンの海。海辺で人々が黄昏ている。そこには特に意味はない。
『僕らの都市とか家庭は、合理性でできているように一瞬見えて、実は全然神話の力で動いています。
例えば、子どもは常に「なんで? なんで?」と理由を聞くものですが、しつこく聞かれると、大人は答えにつまったりします。それはもしかしたら、暮らしの中で「当然」とされることには、多くの場合、あまり合理的な理由がないから。毎日は、神話のようなものの力によって、起き続けているから。』
こんなことを普段から考えている人はあまりいないと思うけれども、僕がこんなことを考える理由は、おそらく、僕がたまたま今、大人じゃないような、子供じゃないような、なんだか知らないけれど、そういう時を過ごしているからに過ぎません。
初日についてはほとんど活動がないため、この渡航日記が自分の雑記のようになってしまいました。ただ時間を過ごす場所が変わっただけでも、思考の巡る回路は普段の生活とは違うものになります。それは一種の転地療法のようなもので、ずっと新宿周辺で生活している間には気づかなかったようなものも、ダナンに来ると無意識のうちに片付いていたりします。
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